「異教徒は蛮人」――アルスラーン戦記から血塗られた歴史を紐解く ①
王都炎上・王子二人 ―アルスラーン戦記(1)(2) (カッパ・ノベルス)
- 作者: 田中芳樹,丹野忍
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2003/02/21
- メディア: 新書
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一神教の恐ろしさは、『異』教徒の『異』を認められないところにある
アニメ『アルスラーン戦記』をみて、小説版を買ってみた。かなり憤りながら読んでしまった。主人公からみて敵国軍ルシタニアは、宗教国家である。やはり、キリスト教やイスラム教と同じ一神教なので、異教徒であるから敵である、異教徒であるから殺して良い、などというクソミソ理論が成り立つ。
作者のあとがきによると、主人公の国は中世ペルシャ(今はイラン)がモデルで、敵国のルシタニアは十字軍やスペイン軍がモデルだそうだ。でも、一応異世界が舞台。
主人公アルスラーン側の人達も、神の名のもとに自国を正当化し諸国を制圧していく敵のルシタニアに対して『蛮人』だと言っている。日本ではポルトガル・スペイン人のことを南蛮人と言っていた時代もある。
なんばん‐じん【南蛮人】
室町末期から江戸時代にかけて、日本に渡来したポルトガル人・スペイン人などの称。出典|(C)Shogakukan Inc.
ユダヤ教、イスラム教、キリスト教は一神教である。ユダヤはヤハウェ、イスラムはアッラー、キリストは神(God)である。どの宗教も神として崇められているのは実は同一人物を指しているので、もうそれを利用してみんな仲良くすればいいのに、そうはいかないらしい。
このうち私が良く知るのはキリスト教なのだが、キリスト教の考えでいくと、人類は生まれた瞬間から罪なのだそうだ。人類であるアダムとイブがりんごを食べたから、その深すぎる罪は原罪といい、今の人たちにも負わされるべき罪なのである…らしい。その罪は、イエス・キリストが人類皆の代わりに死んだときにちょっとは軽くしてくれたんだけど、まだまだお前らは罪深い!りんごなんて食べるから!!ああなんて罪深き生き物だ!救われたいと思うかい、救われたいだろう?それならキリスト教を信じなさいってな具合である。……ごめんなさい、全世界のキリスト教の人。
「自分が正しい」というのは、誰しも心の中にある感情なのだと思う。コインの表と裏のように、表しか知らない人は表しか見ないし、裏しか知らない人も裏だけ。そういう生き方はかなり簡単なのだ。
一神教の恐ろしさは、ただひとつのもの(神)しか信じられなくなることにある。
自分たちの神が正しいはずだ→他の神はありえない→多神教信者はクズ
というむちゃくちゃ論も、成りたてようと思えば成り立ってしまう。
神を一人だけにするというのは、他の宗教を信じて欲しくない、ずっとうちのところにいてよーというある種の信仰引き伸ばし行為であって、絶対なんてもんはありえないという当たり前のことを頭に置いていれば、多神教徒とも分かり合えるのに。
宗教者であっても、全てをそのまままるっと信じる人は少ないと思う。まるっと信じて、自己都合に置き換えて、「神がそう言ってた」って責任転換をした人間たちが宗教戦争での虐殺を繰り返してきたのだと思うんだけれどもね。
理解できないものを排除する「排他主義」
あまり知らないもの、理解できないものを排除する機能は、もしかしたら人間には備わっているのかもしれない。それこそ、自分の身を守るための機能として。でも、それが時にナイフとなって人を突き刺してしまうのだけれども。
異文化が理解できない、一方から見えるものだけでは他方は分からない例として、私自身の得意分野で語ることを許してほしい。
イギリスで英文学を専攻したときに、Jane Eyre(ジェーン・エア)という作品が好きだった。同学年のイギリスっ娘たちも好きだったし、女子には溜まらん麗しきヴィクトリア時代のシンデレラストーリーである。
内容は簡単に言うと、時はイギリスの花々しきヴィクトリア時代。反抗期バリバリのジェーン・エアという名前の、至って平凡なだが時に苛烈な少女が、大人になって家庭教師として良いところの家で勤め、典型パターンよろしく勤め先の主人と禁断の恋(身分差、年の差)をするが、恋敵ともいえる女性、バーサは蛮人だし、相手役は騙くらかしてくれちゃうし、あら大変という話。
恋敵、バーサがクレールといって、黒人と白人の間に生まれた女性だったのである。『蛮人』というフレーズで分かったかもしれないが、バーサは『外』国人。目の色、髪の色、肌の色、信仰宗教が違えば、『蛮人』となるのが。もしくは作中はMonsterと称されていた。扱いがもう人ではない。メインテーマではないのだが、作者が意図しれず描いたその時代での常識が、現代感覚に置き換えると激しいほど人種差別であったのだ。
人種差別のような描写が飛び交っている作品を、なぜが好きだったかといえば、答えは簡単、知らなかったからだ。Jane Eyreから暫く経って、全く別の作家がJane Eyreを下書きにしたWide Sargasso Sea(サーガッソーの広い海)という作品を発表した。それは、バーサが主人公になっていて、Jane Eyreでの彼女の行動を補完する形になっている。Jane Eyreでは、恋敵の女性のことは詳しく書いていない。ああ、変な人なんだ……。と思いながら読んでいた。これはイギリスの文学作品の最高峰ともいえる作品だし、とってもロマンチックで良い作品なのだが、文学的には讃え、人としては誰かの願いがかなうころには、誰かが泣いている(by 宇多田)ことも考えていきたいと思う。
自分の当たり前がすべて覆されることになるから、異文化を理解することは難しい。だけど理解しようとしない、考えようともしないのは怠慢でもあり傲慢であると思う。
「相手は理解できない、でも自分は絶対正しいはず」
そう思ったとき、その相手は敵になる。
そして、理解できないが故に振り下ろした刃は、誰かの喉元に突き刺さりうることも頭に入れておかないといけない。
血塗られた歴史をあんまり書いてないので……
②に続く!(多分)
セーラームーンcrystalが面白い――ゆとりっこホイホイ
友達がセーラームーンにまたハマっていると言っていた。その時は友達みんなで「ええ? 今ー? 小学生じゃないんだから」って笑ったんだけど……ごめん、友よ! まじごめん!
セーラームーンは無敵の美少女戦士でした……。
恋に、仲間と、戦い。
自分の力で道を切り開きつつ、
……たまにタキシード仮面様に助けて貰っちゃうという良いとこどり。
恋に対する憧れと希望、無駄に格好良すぎるタキシード仮面様、なぜか敵とも恋愛しちゃう仲間たち……。少女漫画で育ってきたわたしの鏡でした…。
でも、今はある程度大人になってしまったので、ときには、セーラームーンの作者の人ってうさぎみたいな性格だったのかな? と想像してみたり、あるいは、タキシード仮面さまの顔がハンターハンターの作者の人に見えたりして、(顔知らんけど)いやいや、絶対こんなイケメンちゃうやろと失礼すぎることを考えては頭をぶるりと振ってみたり。
うさぎとまもちゃんの関係は本当に微笑ましい! 当時は恋愛のれの字も知らないひよっこだったので、まもちゃんとうさぎがちゅーしてても普通に見れてたんだけど……。今は、ちっさい頃にこんなん見てたんだ……ええ?という驚きとともに、なんかものすっごい恥ずかしい。
小さい頃はちびうさとペガサスくんの関係が好きだった! 淡い初恋のような関係が可愛くて可愛くってね。うさぎとまもちゃんは、当時からすれば大人の関係にみえてたのかな。
セラムン分析――強くて可愛い女の子
びっくりすることに、セーラームーンはガキんちょには理解不能なほどの物語性を秘めていた! 子どもの物語だと思ってたし、当時は理解してるつもりでいたけど、本当はふわっとしか理解してなかった。物語は、前世とか未来とかが絡んできて、しかもロミジュリ要素もあって、禁断の恋で、年の差らぶで、まもちゃんはすーぱーコスミック級のハイスペック男子なのに孤独なヒーローだし、前世は二人とも超悲劇だし……っていう物語。
わかる? こりゃ子どもにゃ分からんわ……。
いろんな要素を含んでるのに、王道路線でちゃんとまとまってるのも凄いところ。向かうとこ敵なし。
crystalでも旧アニメでもまもちゃんは高校生設定だそうですが、原作では大学生と中2の恋だそうです。(友人談)それってなんてロリコ……。
セーラームーンは、女子が強い世を反映してるような……。それも、強いだけじゃなくて可愛さもちゃんと持ってて。そういう意味では、女子の理想でもあり、男子の理想もちょっとは含んでるのかな。今の世の中、強くなくっちゃ生きてけないので。
キャラも、男勝りのガッツのある子が多いしね。セーラージュピターのまこちゃんは、怪力だけど料理や刺繍もしちゃう乙女な女の子だし。
あとは、可愛い女の子が闘うアニメの先走り的存在だったんじゃあないのかな。セーラームーンからの、おジャ魔女どれみに、それを足して2で割ったようなふたりじゃなくなったプリキュア。でも、セーラームーンがなかったらおジャ魔女どれみもふたりはプリキュアもなかったように思う。名作を作り出すには、先読みの能力もいるんですね。ふむふむ。さすがハンターの作者の奥さんだ……。
crystalは絵柄はちょっと古めだけど、画は綺麗だし、うさぎはちょっと頑張ってるし、まもちゃんはハイスペック王子だし、旧アニメよりも原作に忠実だそうで内容は結構違ってきてるし面白いですよ。原作に忠実にすると、まもちゃんはバラを飛ばさないし、レイちゃんは性格がちょっと違いますよ。
騙されたと思って是非1話みてみてください。(回し者みたい……)騙されたと思って1話を観たら、面白くってハマってしまった人がここに……。
私は、セーラームーン世代だからかなり美化してるところはあるのかもしれないけどね。だから、今の子どもたちにもウケるのかどうかがとっても気になる。
お前の話なんか誰も聞いちゃいねえ
おめえの話なんか誰も聞いちゃいねえよって思う出来事が最近よくある。
ブログをやってSNS大国な日本人は、自分たちが思っているよりもクリエイティブな民族らしい。
普段が内気で、何考えてるのかわかんないような人ほど、家帰ったらI am not Abeって1000件ぐらいいろんな掲示板にコピペしまくってるとか、外国のニュースばっかみて、「どこどこの国の人間はこれだから卑しい」ってコメントばかりしまくってたりする、と思う。
私は文章が好きで、物語が好きで、常に頭の中に自分の作ったキャラクターが浮いてるような空想家なので、割と自分の文章には自信がある。(それでも、お前の話なんか聞いちゃいねえって思われるかもってのは一応頭の隅においてある)
理論に推論、論議に熟考を重ねて、訳の分からん結論に行きつく人がいたり…
でもね、ホントは誰でもそうなんだと思う。
結局、今の世の中誰も人の話なんて聞いちゃいねえんだよ。
だから、俺の話をきけーーー!って奴らが無茶しちゃう。お前の話なんか誰も聞いちゃいねえの同意語は、「お前こそ、誰の話なら聞くんだよ」である。
社会の壁を突き破ることは大事だけど、突き破っちゃあならん壁までぶっ壊してしまう人がいる。自分で犯罪まがいのストーカー行為をしてるのが判断できないとかね。時々、ああまた出たな、と思う人が出てくる。話題になって、みんなで蠅みたいに群がって喜ぶ。まだ、これする? もういいんじゃないの? 「こんな人危険ですねえ―」ってTVのコメンテーターはいうけど、大丈夫だよ。まともな人は相手にもしないから。
さ、次々。人生やることはまだまだ他にもありますよー。
自己啓発本は読むだけで満足――ナマケモノ脱出計画①
今回は、ナマケモノあるあるその1。
自己啓発本は、読んでる自分に酔いしれるためのもの。
そして、それだけで自分が偉くなったような。自己啓発本が本棚に並んでたり、手元に置いてるだけで、(仮にそれがマッサラで殆ど読んだことなくても)うわー頑張ってるわ感が出る。ああ、無常。
私は元来本好き(でもあんま読めない、何せズボラなもんで)だけど、他にもなんちゃって満足があったら面白いな。
自己啓発本に書いてあることって、最近分かったんですけど、大体が続かない。それこそ、「私、面倒くさがりで、朝も起きれなくて……だったんですけど、この本に書いてある方法で起きれるようになっちゃって!」みたいなことを書いてる本ってある。あるんだけど、こういうの、三日坊主で終わるのがオチ。
自己啓発本を出せる人って、それだけで何か人生成功してる気がしません? それはちょっと極論かもしれないけど……残念ながら、本当にダメな人間は本なんて一冊も書ききれない。
自己啓発本を読んでも読んでもダメだったという人は、それこそ宗教のように、自分が心酔する人を著名人から見つけて、その人がこうした!って言うのを実践するか、実践するのも難しいなら、そこから簡略化したものをやってみるといいかも。なんて、私には誰かに言えるほどの啓発力はありませんけど。
そんな私の今の自己啓発は、週に3日は図書館に行くということです。もう週の半分は過ぎましたが……なんとかなる!多分!(笑)