ゆとりの逆襲

時事ニュース初心者でも、読みやすいブログを目指して邁進中。

悪口ばかり言ってると、どうなるかという話。

 今日は一味違って、人間関係のお話。

 

 アルバイトをしてた時に、とある先輩が、ひたすら人の悪口を言っていたことがあった。私はあんまり興味もなくて、というか悪口はあまり言わないようにしてるので、言ってるのも聞きたくない性格。(いつも話してる時事問題が悪口に当たる…のかもしれないけど…)

 

 悪口言ってる人は信用できん。という、いじめられっこ的発想なんだけど、ある意味真理かもしれない。

 毎度毎度悪口を言う先輩と、帰り道が一緒でしゃーなしで一緒に帰ってて、毎度毎度あーまた言ってるわこの人って思いながら帰ってた。ある日、同じバイト仲間の悪口を言い出した。うげっ。それ、ほんとマジ聞きたくない。知り合いじゃん。うわー……よく言うよー…って思いながら、毎度毎度私は、「へーーー」って言ってた。超興味なさげな相槌…。まあ、実際聞きたくないんだけど。面白くないもん。

 

 そのうち、悪口先輩(あだ名にしちゃった…)が悪口を言ってたAくんが、悪口先輩の悪口を言い出した。悪口って不思議なもんで、言ってると余計その人が嫌いになっちゃって、態度にも表れるようになるんだろうと思う。それで、Aくんも嫌な思いをして、それが段々Aくんは他の人に言うようになって、周りは「悪口先輩って嫌いだ」っていう人で溢れてしまった。

 

 で、段々悪口先輩はそのバイトでの立場が狭くなって、とうとうやってはいけないことを2,3度やってしまった。悪口先輩は、最後には仕事自体の悪口まで言うようになってしまった。あれが悪い、これが悪い、って言ってると、悪い部分にしか目がいかなくなってしまうのだろう。そうしてるうちに、人の心は離れていくし、周りにいるのは適当な付き合いをするイエスマンのみ。人間としての成長がそこにあるはずもなく、本当に悪いのは自分だということにも気づかない。

 

 バイト仲間は悪口先輩の悪口を言ってたり、悪口先輩の子分になってたりだったけど、わたしはそのどれでもなく、傍観していた。自分の立場が一番冷たい立場になるのだろうか、と思ったりもするけど、こんな私のクールすぎる態度には、一応理由がある。

 

 こういう人、悪口ちゃんは友達にもいて、かつて、その子にアドバイスをいろいろしたけれど、結局悪口ちゃんで変わらなかった。アドバイスは求められてないのにする必要はないな、とその時思った。(お節介な性格だから、すぐしてしまうけれど、他にもいろいろあって、お節介の無駄遣いは良くないと思った……)その子とは、今は疎遠になっている。会っても一方的にドス黒い悪口を聞かせられるだけの関係は、友達とは言えないのかもしれない、とある時ふと思ってしまった。会えば悪口マシンガンになる、一見女らしい、小悪魔で世の男子がみんな好きなタイプの彼女の、「会いたいよー会えなくて寂しいよー」って言葉は、昔は「会わなくちゃいけない」と思わせるだけの甘さを含んでいたけれど、今となっては、「会いたいよーあんたに会えなくなると、愚痴が言えないよー」に変換されるようになってしまった。いくらお節介焼きの私だって、愚痴吐きの便所にはなりたくないのだ。


 人は、自分が変わりたいと思ったときにしか変われない。他人が何を言っても聞かない人はいる。ずっと、子どもの頃の我儘な自分のまま、誰かの悪口を言ってしか生きられない弱い人もいるのかな。いずれにしろ、何かきっかけがあって、自分で変わろうと思わないと変えられないのだ。

 

 時々、自分も悪口を言ってしまうときがある。あ、言い過ぎたって思うときもある。そんなときに、たまに、悪口先輩のことを思いだして、楽しいことを考えようとする。悪口は言ったところで尽きない。大事な人達を遠ざけ、大事な時間を自ら奪うだけだ。善と悪をはっきりしようなんてことはせず、理不尽なことにも、どうしようもないときは見過ごす鈍感さが必要なんだろうと思う。

 その時、言わなきゃいけないときは、言えばいいけど、終わったことは変えられない。事実は受け入れるしかないのだ。

 

 悪口先輩の場合は、トラブルを起こして自分から転職してしまったけれど、それは彼女にとって本当に幸運だったのかどうなのかは分からない。