ゆとりの逆襲

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出したかったから出した――自己満足のために遺族を傷つけてもいいのか

  本を読んでいない人間が言うなと思われるかもしれない。思われる前に書いておくが、「本の中身ではなく、出版についての意見」として読んでもらいたい。中身の問題ではなく、倫理上の問題提起だと思ってもらえるとありがたい。ワイドナショーで取り上げられたことも参考にしています。

 読むことを非難しているのではなく、書いた本人と出した出版社への非難なのですが、不快に思われる方は読まないことをおすすめします。

 

更生はできても、本質は変わらないのか

 出したかったから出した。そのために遺族を傷つけても、自分の家族が社会から注目を浴びるかもしれない危険にさらされても。

 それって、何も変わっていないんじゃないかとワイドナショーで東野さんが言っていた。出したかったから出した、殺したいから殺した。本質的に、変わってないのではないかと思ってしまう。ダメだって思えば思うほどやりたくなる。物事というものはそういうもんだが、絶対やっちゃあダメなときもあるのだ。それが社会にいきる人間の責務だと思う。 

 元・少年は多分ある程度更生したのかもしれない。本当に節度ある「普通の」大人ならば、誰かを傷つけても自分のために行動しようとは思わないはず。

 

 今のところ、遺族と元・少年の話は、完全な意味で噛み合うことは無いのだと思う。少年は謝っている。でも、実は本当の意味で自分が犯した罪を100%理解しているとは思えない。他人の気持ちを理解するのが苦手なんじゃないかとさえ思う。それでも、人の心を100%は理解していなくても、再犯は防げるかもしれない。まあ、再犯するぞなんて不吉なことは言いたくないのが本音だが。

 

「表現の自由」と「知る権利」を振りかざす出版社

 表現の自由は、誰かを傷つけても行使するべきものではない。傷つけてもいいというのなら、それは傲慢以外の何物でもなく、やはり社会のルールを破っているのだと思う。

 もし、彼の作品がかなりの名作であるとしても、懺悔に懺悔を重ねていたとしても、それを読むのは元・少年に看過されて罪を犯したあの少女だけでいいと思います。本じゃなくて手紙で良いと思う。本にしたのは、そうすることでどれだけ自分の存在が社会に影響を与えるかを分かっているから。そして、そのことで遺族を傷つけるなどという常識的な考えが分からない、もしくは苦手なのだろうと思います。 

 私たちが、知りたいことをすべて知る必要があるのか、すべて知る権利があるのか。それは、表現の自由や知る権利には値しない。出版社はこれらの意味をはき違えていると思う。少なくとも、当事者(遺族の方々)が拒否しているものを読む必要なんてないと、私は思う。

 

本が社会に与える影響

 わたしも殺人を犯したら彼のようになれるかも! 売れる本が書ける! と思う少年少女がいてもおかしくはない。

 今までそんな人はいなかった? という意見もある。嘘だ。デスノートを読んで、殺人を犯した人は実際にいるし、ゲーテの『若きウェルテルの苦悩』を読んで、そのエンディングと同じく、自らを射殺してしまった人は何人もいたのだ。本は共感を呼ぶ。本を読んでいるとき、読み手と書き手は一体となれるのだ。時に、書き手の感情が読み手の心の中にすっと入っていくことがある。文学的な作品、エンターテイメント溢れる作品ならそれはとても爽快な体験になりうる。が、この場合はどちらでもない。むしろ、文学的な作品が読みたいなら、わざわざ元・少年の本を読まなくても良いわけだ。他に文章の優れた作品など星の数よりもある。 

 

 元・少年も責められるだけのことをしていると思うし、出版社自体にも責任はある。更生をするためにどれだけの人員を割いたか、時間をかけたか、元・少年にどれだけの愛情が与えられたかという出版社側の言い分がある。

headlines.yahoo.co.jp

 

 では、更生のために勤められたボランティアの方たちは、少年院のスタッフの方たちは、元・少年が出版することを望んだといえるのか――本当に?

やっぱり、ボランティアの方を持ち出してくるのは、ただの自己弁護に過ぎないのだと思う。こんな善意の人々を否定するのか? という意味にとられても仕方ないと思う。

 

結論

 出版はするべきではなかったし、少年は本を出すべきではなかった。結局、自己表現に酔って行動するというところは直っていないのだし、真に節度ある出版社はそれに加担するはずがないと思う。

 そして何より、被害者に辛い世の中であってはいけないと思う。今回のことは、表現の自由の枠を越えてしまったように思う。そして、出版社は遺族の気持ちをほんの一欠片も考えておらず、社会への影響力と話題性だけを求めているのではないか。出版したいからしたいという出版社も、出したいから出し、殺したいから殺した元・少年も、結局は類は友である。彼らを非難したい者の出来ることといえば、やりたいことを全てやればいいのではなく、その影響力も考えなくてはならない、それだけの責任がひとりひとりにあるということを教えてくれたと思っているしかないのだ。とてもやりきれないけどね。

 

 最後に、本当に彼が本を出版したかったのなら、長い時間をかけて、遺族を説得するべきだと思う。腕を磨いて、違う名前で、自分が元・少年ということを全て隠して、それでも本が出せたら文句をいう人は今よりは少ないでしょう。