ゆとりの逆襲

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「異教徒は蛮人」――アルスラーン戦記から血塗られた歴史を紐解く ①

 

王都炎上・王子二人 ―アルスラーン戦記(1)(2) (カッパ・ノベルス)

王都炎上・王子二人 ―アルスラーン戦記(1)(2) (カッパ・ノベルス)

 

 一神教の恐ろしさは、『異』教徒の『異』を認められないところにある

 アニメ『アルスラーン戦記』をみて、小説版を買ってみた。かなり憤りながら読んでしまった。主人公からみて敵国軍ルシタニアは、宗教国家である。やはり、キリスト教やイスラム教と同じ一神教なので、異教徒であるから敵である、異教徒であるから殺して良い、などというクソミソ理論が成り立つ。

 作者のあとがきによると、主人公の国は中世ペルシャ(今はイラン)がモデルで、敵国のルシタニアは十字軍やスペイン軍がモデルだそうだ。でも、一応異世界が舞台。

 主人公アルスラーン側の人達も、神の名のもとに自国を正当化し諸国を制圧していく敵のルシタニアに対して『蛮人』だと言っている。日本ではポルトガル・スペイン人のことを南蛮人と言っていた時代もある。

なんばん‐じん【南蛮人】

室町末期から江戸時代にかけて、日本に渡来したポルトガル人・スペイン人などの称。出典|(C)Shogakukan Inc.

  ユダヤ教、イスラム教、キリスト教は一神教である。ユダヤはヤハウェ、イスラムはアッラー、キリストは神(God)である。どの宗教も神として崇められているのは実は同一人物を指しているので、もうそれを利用してみんな仲良くすればいいのに、そうはいかないらしい。

 このうち私が良く知るのはキリスト教なのだが、キリスト教の考えでいくと、人類は生まれた瞬間から罪なのだそうだ。人類であるアダムとイブがりんごを食べたから、その深すぎる罪は原罪といい、今の人たちにも負わされるべき罪なのである…らしい。その罪は、イエス・キリストが人類皆の代わりに死んだときにちょっとは軽くしてくれたんだけど、まだまだお前らは罪深い!りんごなんて食べるから!!ああなんて罪深き生き物だ!救われたいと思うかい、救われたいだろう?それならキリスト教を信じなさいってな具合である。……ごめんなさい、全世界のキリスト教の人。

 「自分が正しい」というのは、誰しも心の中にある感情なのだと思う。コインの表と裏のように、表しか知らない人は表しか見ないし、裏しか知らない人も裏だけ。そういう生き方はかなり簡単なのだ。

 一神教の恐ろしさは、ただひとつのもの(神)しか信じられなくなることにある。

 

 自分たちの神が正しいはずだ→他の神はありえない→多神教信者はクズ

 というむちゃくちゃ論も、成りたてようと思えば成り立ってしまう。

 神を一人だけにするというのは、他の宗教を信じて欲しくない、ずっとうちのところにいてよーというある種の信仰引き伸ばし行為であって、絶対なんてもんはありえないという当たり前のことを頭に置いていれば、多神教徒とも分かり合えるのに。

 宗教者であっても、全てをそのまままるっと信じる人は少ないと思う。まるっと信じて、自己都合に置き換えて、「神がそう言ってた」って責任転換をした人間たちが宗教戦争での虐殺を繰り返してきたのだと思うんだけれどもね。

 

理解できないものを排除する「排他主義」

 あまり知らないもの、理解できないものを排除する機能は、もしかしたら人間には備わっているのかもしれない。それこそ、自分の身を守るための機能として。でも、それが時にナイフとなって人を突き刺してしまうのだけれども。

 異文化が理解できない、一方から見えるものだけでは他方は分からない例として、私自身の得意分野で語ることを許してほしい。

 イギリスで英文学を専攻したときに、Jane Eyre(ジェーン・エア)という作品が好きだった。同学年のイギリスっ娘たちも好きだったし、女子には溜まらん麗しきヴィクトリア時代のシンデレラストーリーである。


映画『ジェーン・エア』予告編 - YouTube

 内容は簡単に言うと、時はイギリスの花々しきヴィクトリア時代。反抗期バリバリのジェーン・エアという名前の、至って平凡なだが時に苛烈な少女が、大人になって家庭教師として良いところの家で勤め、典型パターンよろしく勤め先の主人と禁断の恋(身分差、年の差)をするが、恋敵ともいえる女性、バーサは蛮人だし、相手役は騙くらかしてくれちゃうし、あら大変という話。

 恋敵、バーサがクレールといって、黒人と白人の間に生まれた女性だったのである。『蛮人』というフレーズで分かったかもしれないが、バーサは『外』国人。目の色、髪の色、肌の色、信仰宗教が違えば、『蛮人』となるのが。もしくは作中はMonsterと称されていた。扱いがもう人ではない。メインテーマではないのだが、作者が意図しれず描いたその時代での常識が、現代感覚に置き換えると激しいほど人種差別であったのだ。

 人種差別のような描写が飛び交っている作品を、なぜが好きだったかといえば、答えは簡単、知らなかったからだ。Jane Eyreから暫く経って、全く別の作家がJane Eyreを下書きにしたWide Sargasso Sea(サーガッソーの広い海)という作品を発表した。それは、バーサが主人公になっていて、Jane Eyreでの彼女の行動を補完する形になっている。Jane Eyreでは、恋敵の女性のことは詳しく書いていない。ああ、変な人なんだ……。と思いながら読んでいた。これはイギリスの文学作品の最高峰ともいえる作品だし、とってもロマンチックで良い作品なのだが、文学的には讃え、人としては誰かの願いがかなうころには、誰かが泣いている(by 宇多田)ことも考えていきたいと思う。

 

 自分の当たり前がすべて覆されることになるから、異文化を理解することは難しい。だけど理解しようとしない、考えようともしないのは怠慢でもあり傲慢であると思う。


「相手は理解できない、でも自分は絶対正しいはず」

 そう思ったとき、その相手はになる。

 そして、理解できないが故に振り下ろした刃は、誰かの喉元に突き刺さりうることも頭に入れておかないといけない。

 

血塗られた歴史をあんまり書いてないので……
②に続く!(多分)