ゆとりの逆襲

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世界の秩序が少しずつズレていく――ヨルダン人パイロット殺害、リシャウィ死刑囚死刑を受けて

 世界の秩序が少しずつズレていく。

 ヨルダン人パイロットの殺害、リシャウィ死刑囚の死刑をもって、日本とヨルダンを巻き込んだISISの人質事件は考えうる最悪の形で幕を閉じた。いや、誰もがここまで酷い形で締めくくられるとは思ってもみなかったはずだ。

 

1.リシャウィは本当に「悪」だったのか

 夫に言われて、右も左も正確な判断ができなくなって、のテロ事件というのもありうる。ヨルダンでの一連のテロ事件は彼女の計画ではなさそうだし、もしそうだったとしても、だ。それでも、死刑執行をしてしまえば、すべて闇の中だ。

 パイロットを焼いて殺害したというのも、ヨルダン側からすると酷い行為だと思う。ヨルダン人パイロットの尊厳を打ち砕くような憤りを感じるのは仕方ない、だけど、こういう時こそ冷静になる必要がある。死刑執行はなかったと思う。国として、テロリストと同じ立場まで下がっていってはダメだ。裁判にかけて、法とともに裁くべきだった。

 リシャウィがただの洗脳された人だったとしたら? リシャウィに関しては、もの凄い残酷な思想を持った人なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。日本国内で手に入れられる情報には限りがあり、英字新聞を見てもどれが真実でそうでないのかが分からない。判断材料すらない。

 たとえば、リシャウィを生かし、裁判にかけることが一番良い方法だったと思う。彼女を調べることで、他の人がどうしてISISに従うのか、どうすればISISに流れていく人を止めることが出来るのか、そこで浮かび上がる事実もあるはずだ。リシャウィが喋れば、だけど。

 真実は歪んだ目では見えない。「テロリストと同じことをしてはいけない」から、そこに国民を納得させるだけの根拠はあったはずだ。ヨルダンまでも過激な思想に染まってはいけない。とは思うのに、ヨルダン世論は「報復」の方向へ一気に加速するんじゃないだろうか。それがとっても恐ろしい。

 ISISにいて、逃げたいのに逃げられない人、善良な一般市民も巻き添えになることは絶対避けたい。

 

2.ISISの脅威に対して、どう対処すべきか

 ISISは脅威だと思うが、本当に脅威なのは日本国内にいる安全な日本国民にとってではなく、ISISの組織の者自体だと思うのだ。つまり、ISISの中は地獄だと思う。

 少しでも何かやらかしたら殺される。そこには法も秩序も、信じているはずの宗教本来の姿もなく、希望は死だ。殉死することで天国に行ける。これをNightmareじゃなくして何なのか。日本国民にとってのNightmareがBeginだと、イギリス人ラッパーだかパンクロッカーだかのおっさんは言ってたけど、Nightmareなのはそちらさんだよ、という話である。

 仕事がなかったら働けばいい。働くことができなかったら、勉強すればいい。それすら出来なかったら、それはとても悲しいことだとは思うが、人を自分たちの地獄の方まで引きずることはあってはならないのだ。

 

 ISIS対抗策として、一番良いのは仲の悪かった中東周辺諸国が一体となって、ISISに立ち向かうことだと思っていた。仲たがいしている場合ではない。憤慨している場合でもない。真剣に、そして冷静に考える必要がある。みんながみんな同じ方向(対ISIS)を向けば、テロリストを叩くことぐらいはできるはずだ。

 でも、それが出来ないと……ISISに足元を掬われる。世界を巻き込み、戦争のような状態になりうるかもしれない。一度動いた時代の流れは止められない、第一次世界大戦のように、第二次世界大戦のように、繰り返してならないことがある。

 

3.最後に

 世界の秩序を正せるのは、日本かもしれない。平和で、戦争を70年もしていない先進国は他にない。ISISにコラ画像を送っちゃうぐらい、平和バカな国民がうじゃうじゃいるわけだ。ちょっとくらいの人間が働かなくても社会は成り立ってる。なんて平和すぎる国なんだろう……。この平和をISISに分けてあげたいぐらいだよ……。

 これからの時代に、日本が担う役割は重く大きい。

 

 最後になったが、ちょっとだけほのぼのできそうな妄想…いや、空想話を聞いてください。お口直しに(なるのか? ただのDQN話では?w)

天国で、ひれ伏して謝る湯川さんと、「いいよ、いいよ」って言ってる後藤さんが見えるような気がしてきた。二人で再会して、また一緒に行動できてるといいよね。ヨルダン人パイロットとも、天国で再会できてるといいな。リシャウィ死刑囚は……後藤さんと同じところには行けそうにもない、か。

 ヨルダンのように、日本国内で「ISISに報復を!」なんて声が大きくならないのは、後藤さんのメッセージによるものが大きい気がする。

 後藤さんのこれまでの行いに恥じない行動をすることは、これからの私たちに託されていることなのかもしれない。