ゆとりの逆襲

時事ニュース初心者でも、読みやすいブログを目指して邁進中。

さよならだけが人生だなんて言わせない

今週のお題「2014年のお別れ」〈2014年をふりかえる 3〉

 

 さよならだけが人生だ。

 

 って、言葉が綺麗でおしゃれで好きなんですが、内容は本当はそうじゃないよう…で!(まあ詳しくは知らないんですけど)

 

 ふと、さっき思ったんですよね。

 喧嘩別れした友達も、自分らぶで重たすぎる友達も、会えば愚痴ばかりいう友達も、久々に二人で会うんだねって思ったら単に勧誘だった友達も、大学時代の全く打ち解けられなかった英文学部のみなさんも、留学先でちょっと好きだった韓国人の男の子とも、私のトラウマを制作しやがったけど今はリア充でFBに彼女の写真あげまくってるバカ男とも、

 

 みんなみんな、いつかどこかで再会できたらいいのにって思うんです。

 

…もちろん、マジで嫌いな人とは会いたくはないんですけど。毎日は会いたくないし、当分会いたくもないけど、どこかで好きな部分がある人だけですかね。

 

 そのときはとっても嫌だったこと、許せなかったことが、いつのまにか泡になって消えてて、それくらい許せるようになってることってあると思うんですよね。

 

 これまで、自分がすごく依存されやすい性格みたいで、(たぶんめちゃくちゃ性質の悪い八方美人)友達がだんだんと重くなって、最後は女友達なのに私が彼氏みたいな立ち位置にいてて、こっちが耐えられなくてお別れするという、強制さよならを何度も送ってきたんです。

 

 あのときも、あのときも、そのときも、(何回あるんだというツッコミはなしの方向で…)嫌になったきっかけは相手のストーカー染みた行為や言動だったんですけど、そのきっかけを作ったのは多分わたしなんですね。

 

 「相談聞いてあげるよ、なんでも言ってね!」

 「ああ、そんなに辛いんだね」

 

 って優しい言葉をかけているうちに、相手は私に段々頼るようになってきた。全部相談するようになってきた。そうしてるうちに、こっちがストレスでおかしくなるっていうね……。

 

 ひととひととは、節度と尊敬と距離をもって接していかないといけませんよね。

 

 さよならだけが人生だって思えたら、少しは楽になるんだろうけど、やっぱり人間楽しちゃいけません!(byゆとり世代w)

 

 問題なのは、その人達と会うために、自分のトラウマをまずは人に説明しないといけないんですよね……。セカンドトラウマを受けたくない、楽したい自分との闘いといいますか……。

 

 ちょっと大変ですけど、いつかどこかで会えるように友達に話したりしてみることにします。